2011年から2015年までトヨタ自動車のワンボックスカーを改造した移動カフェで珈琲屋をやってました。
移動カフェを開業したことで結果的にジリ貧生活に陥ることになりました。
ですが一度きりの人生です、振り返ってみれば行動して良かったと思います。
(ですが銀行さんには迷惑をかけてしまいました。)
いろいろと大変なこともあった移動カフェは残念ながら4年で廃業しています。
今回の記事では移動カフェを始める前に勤めていた会社で退職を決意したときの気持ちと移動カフェをオープンするために行動を起こしたことをまとめます。
退職を決意した理由
産業機器メーカーの下請け工場で22年間働いたぼくは会社を辞めて移動カフェを始めました。
いま考えるとよく辞めれたなとも思います。
会社員での仕事はキツイ面もありましたが、アイデアを出してカタチにしていく過程や役割りを任されたことにやりがいを感じていました。
会社員の仕事は自分の経験値を高めることになったと思います。
しかし組織に貢献することで得られるやり甲斐と仕事の負担とのバランスがだんだんと崩れてきます。
こなしてもこなしても次々に放り込まれてくる課題と業務にだんだんと疑問を感じ始めます
まるで水をザルですくっているようです。
職場は週休2日の勤務待遇でしたが、毎週丸2日まともに休めたことはありません。
週2回のトイレ日の時間を捻出することも難しいほどでした。
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だんだんと馬鹿らしいを通りこして虚しくなってきました。
そのうちだんだんと死んだらオシマイという気持ちを抱きはじめます。
そもそも脊髄損傷の身体なので人よりも長生きできる可能性は高くありません。
だったらやりたいことにチャレンジして死んだ方が良いと思えるようになりました。
少し短絡的な考えですが、当時はそんなふうに思っていました。
その結果、カフェをオープンしたいという夢を持つことになります。
車いすに乗るぼくが移動カフェを始めた理由
脊髄損傷のぼくは見ず知らずの他人さまを含めていろいろな人のお世話になってきました。
普通に街に出かければ段差はあちこちにありますし、手を借りることも少なくありません。
車いすフェンシングの経験があったもの、いろいろな人の手助けがあり競技生活が成り立っていたと思います。
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そこで今度はこちら側が人をおもてなしできるようなことが出来ないかと考えました。
その方法がカフェという形に向かいました。
それにぼくは音楽やギターが好きだったので、演奏ができるようなお店やカフェに興味がありました。
カフェという空間で自分の大好きな音楽を楽しんでもらいながら人に喜んでもらうスペースをつくりたい。
そう考えるようになりました。
最終的には実店舗でのお店では車いすでの対応にムリがあると考え、構想を練った結果、移動販売車の方法になりました。
結果的にぼくは22年間務めた会社を辞めましたが決心するまでは相当迷いました。
会社を退職する決意が固まるまでの揺らぐ日々
中卒の学歴しか持たないぼくは特別な資格もありません。
おまけに一回目の結婚生活で購入した自宅の住宅ローンも抱えています。
冷静に考えればムチャです。
職場で面白くないことがあったりすると「やってられるか!」みたいな気持ちになります。
そんな時はだいたい気分が高まって「もう辞めてやる!」と決心したような気になります。
でもあくる日や2、3日経つとやっぱりムリかなと自信がなくなります。
こういうのって【ホメオスタシス】と言われる働きが作用していると最近になって読んだ書籍から知りました。
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苫米地英人さんの書籍も参考になりました。
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辞めよう!辞めたいなー。やっぱり辞めのはムリかも?のホメオスタシススパイラルに陥りながら、最終的に職場に退職届けを提出するまでは2年ほどかかりました。
会社を辞める決心ができた理由はおそらくやりたいことを実現するために少しづつ行動していたからだと思います。
ぼくはモヤモヤとしながらも退職の決心ができる2年の間に料理教室や創業塾に参加し、夢を実現するための準備に時間を使いました。
会社を辞める決心ができた理由
料理教室と創業塾に参加
カフェを始めたいを具体的なものにするため少しづつ行動しました。
まずは料理をある程度マスターしなければと考えカフェスクールの入学を検討し大阪のレコールバンタンを訪問し相談しました。
>>https://www.lecole.jp/index.php
当時面談してもらった担当者さんは車いすでカフェを始めたいというぼくの要望を真面目に聞いてくれました。
残念ながらカフェコースのカリキュラムは車いすでは参加できないとことでした。
しかし経営面でのカリキュラムを学ぶ土日コースを提案していただけたのですが授業料も高く希望した内容でもなかったので断念しました。
そこで大阪ガスクッキングスクールの単発申し込みができるレッスンがあり車いすであることを知らせずに受講しました。
障害者であることを申し込み前に伝えると受講を断られる可能性があるからです。
案の定、当日に会場へ出向くと今回限りで次回は受講できないと言われました。
しかしこのときに同席したグループのおばさまたちが気の良い人ばかりで車いすに乗るぼくを受け入れてくれました。
スタッフさんが今回だけ車いすの人間が参加することの了解を得ようとしました。
おばさまたちは次回以降も参加してくれて大丈夫だと会場側の拒否を拒否しました。
この回以降ぼくはおばさまたちと料理作りを約2年ほど楽しみました。
創業塾に参加
商工会連合会が主催する創業塾で起業のノウハウを学んで土台を固めることを考えました。
約3か月のカリキュラムのなかで自分のこれまで取り組んできたことをすべて抽出しました。
洗い出した自分の過程のなかから起業のアイデアを磨きあげていこうとするアプローチです。
なかなか勉強になった良い機会でした。
いまこのページでまとめている内容も創業塾で経験したアプローチを再現していることになります。
退自家焙煎珈琲の移動カフェを始めるまでの葛藤まとめ!
退職の決意が固まるまでは行動レベルに移して料理教室と創業塾の2本立てで準備を行いました。
料理教室と創業塾の参加は走り幅飛びで例えるなら助走のような意味ですね。
助走の段階で飛ぶためのスピードをつけるのが大きな目的です。
つまり退職と創業への決心を固める助走段階として機能したのではと今では考えています。
創業塾の参加で商工会とのつながりが得られ、結果的に融資への道筋ができたのも大きな成果でした。
料理教室の内容は家庭レベルに過ぎませんが参加するために行動したという結果が残っています。
女性ばかりの料理教室に男一人でしかも車いすの立場で良くやったなと自分のことながら思うワケです。
たぶん行動が徐々に決心を作っていくのだと思います。
ムリに退職するぞ!と決意を急ぐことはないと思います。
行動できることを徐々に進めていくことでイケるかも?という段階になるんじゃないでしょうか。
なので会社を退職することが目的にするのではなくて【何かやりたいこと】を始めるために行動していたら準備が整ったというタイミングが退職という決意が固まる時期なのかのしれないです。
ぼくの経験として会社を辞める不安を乗り越えて退職を決意できた理由を最後にまとめます。
[aside type=”boader”]- 退職を決意できた理由
- やりたいことがあった
- 行動レベルに移した
- 行動したら環境が整いはじめた
- 行動しなきゃ背中のさびしい理屈だけをこねるじじいになると思うと怖くなった
もう10年くらい前の出来事ですが、働めていたときの気持ちを振り返りながら記事を書き留めました。
会社を辞めたいけど不安が勝りなかなか決心できなかったときにぼくが全力で取り組んだ内容です。[/box]
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